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【北のミュージアム散歩】第90回 網走市立郷土博物館分館モヨロ貝塚館 ~謎の多いオホーツク文化人~

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札幌イベント
「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第90回は、網走市の「網走市立郷土博物館分館モヨロ貝塚館」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第90回 網走市立郷土博物館分館モヨロ貝塚館
-謎の多いオホーツク文化人-
「モヨロ貝塚館」の外観(著者撮影)
 北海道で続縄文時代後期、本州で古墳時代から鎌倉時代までの約千年間、北海道のオホーツク海沿岸を中心に、サハリンや南千島列島にかけ、異質の文化を有する人々が住んでいた。明治二三年(一八九〇)、礼文島で発見された縄文の無い土器や、その後、利尻島から出土した牙製婦人像から、遥か北方のエスキモーとの関連性が指摘された。『街道をゆく』の著者の司馬遼太郎から、「日本のシュリーマン」と言わしめた米村喜男衛のモヨロ貝塚の発見を契機に、明らかになっていない民族の存在が浮かび上がる。
最大級のオホーツク文化の集落遺構となる

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